京都徘徊-その1(寺田屋騒動と原市之進という人物)

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2011.11.29
新幹線東京発9:00「のぞみ」-は、京都駅に予定どうり、、到着した、、、、。

早速、荷物をロッカーに入れて、、近鉄経由-京阪電鉄で伏見に直行する、、、
各駅停車でも15分、、特急でも10分の、近鉄丹波橋から-京阪丹波橋に乗り換え2駅目の「中書島」(なかがきじま)駅で下車する、、、。

よーし来たぞ!、、。
中書島駅からは、レトロな商店街を、、100mほど北へ向かい、、右に折れると、、「濠川」にでる、、

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<江戸時代「濠川」には大阪との定期船があった>

龍馬にとっても、水上交通は便利であったであろう、、
伏見は、酒どころである、、濠川沿いに酒蔵が多い、、
右側には月桂冠大倉記念館があります、、
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今は、遊歩道が整備されており、川沿いの「寺田屋」までは、この道がいい、、

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<伏見の徘徊ルート>

■伏見寺田屋
龍馬は池田屋騒動1864(元治元年6月)のあと、京都のアジトとなっていた「大仏の家」(方広寺の近く)が新撰組に急襲され使えなくなった、、
もともと、薩摩藩の定宿であるが、薩摩藩、吉井幸輔の紹介とも言われる、、、
翌慶応元年頃に龍馬は、ここ伏見では「西郷伊三郎」という変名で、寺田屋と野田屋を定宿にしている、、、

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<寺田屋は鳥羽伏見の戦いで焼失したが、その後再建した>
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<図面左が店で入り口、、左に階段がある、小さな宿だ>

慶応元年、中岡慎太郎と共に、薩長連合に長州-薩摩-長崎-江戸を東西奔走する龍馬だが、ようやく木戸準一郎(桂小五郎)を説得、、上京の運びとなった、、

翌慶応2年、、長州藩(調布)から三吉慎蔵さんを紹介され、高杉晋作からは、護身用に短銃スミス&ウエッソンをもらう、、

西郷と木戸との折衝は、慶応2年1月18日を予定して、始められたが、、、龍馬は船の遅れにより間に合わなかった、、

1月19日、三吉慎蔵らと下関から到着した龍馬は寺田屋で一泊し、1月20日京都薩摩屋敷に向かった、、、

遅れた龍馬は、愕然とする、、、未だに結論が出ない、、
1月21日、、西郷、小松と高杉、、そして龍馬立会いのもとに、ようやく薩長同盟は成立する、、、

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「おりょう--!、三吉さん! いま帰ったぜよ」

龍馬が寺田屋に戻ったのは1月23日の0時~2時頃であったと思われる、、
京都薩摩藩邸は、現在は「同志社大学」になっているところだ、、、伏見まで約8km、、通常なら徒歩2時間というところだが、、、

「やったぜよ--!、三吉さん、、これで、、ニッポンは大きく変わるぜよ、、」
「なにせ、、西郷さんも、、高杉さんも、、長い間わだかまりが、あったものを、、ぜんぶ吐き出したがや、、」
、、、、、
「いやいや、、ホンとに心配してました、、お女将も、おりょうさんも、まだ寝ずに帰りをまっていました、、まま、、一風呂浴びて、熱い酒でも、、、」
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<龍馬の部屋、濠川は目の前>

興奮は、冷め遣らず、、話は続いていた、、、

、、おりょうも、、ようやく安心して、、階下の風呂に向かった、、、
、、、時間は午前3時ごろである、、、

おりょうが、風呂場から、ふと、外を見ると、、、伏見奉行所の御用ちょうちんである、、、、しかも、、50人以上いる、、、

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薩長の連合の噂は、、、当然幕府側、、伏見奉行所、、見回り組には届いている、、、
まさに、、、その晩に、、寝込みを襲うように、、、しかも、異常に多い捕り方の数である、、
その伏見奉行所の動員ぶりから、、幕府の中枢からの指示ありと見られる、、

幕府にとっては、天下を騒がす輩、しかも、、薩摩と長州の周旋を計るとは、、許せん、、

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<寺田屋にある風呂>

全裸で二階に知らせに駆け上がる、おりょう、、、

狭い玄関に伏見奉行所の役人が入る
、、女将「おとせ」が立ちはだかるも、、

低い声で、、

「二階に侍が二人おるはず、しかとさようであろうな。ありていに申せ、、いま、どうしておる、、。」

「まだ、寝んと、お話をしておいでです、、」

「なに!」

深夜3時である。
寝込みを襲う手はずである、、、どうやら、見込み違いであった、、。

伏見奉行所は、ドカドカと立ち入る、、
槍を構える、、慎蔵、、、、そして龍馬の手から、銃声が、、、、
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<TV 龍馬伝から>

二人は、裏小路から民家を突き破り、、油掛地蔵に隠れたあと、、濠川沿いの材木置き場に潜む、、、
小傷ながら、手の大動脈を切られた龍馬は、、、必死に潜伏する、、、

おりょうが、伏見薩摩藩邸に助けを求めて、、、薩摩藩一小隊により、、、濠川から船で、、薩摩藩伏見屋敷に護送される、、、、
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<潜伏した材木置き場あたり:大手橋から>

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<伏見薩摩藩邸跡は酒造(松山酒造)になっている>

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薩長同盟の六項目の条文が桂小五郎により記され、、、龍馬が裏書したのは、、、寺田屋襲撃事件のため、、、慶応2年2月5日となった、、、。

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※この寺田屋騒動と、後に慶応3年11月15日の龍馬、中岡が暗殺される近江屋事件の、幕府側指揮者は一連のものと考えられるが、、龍馬を捕らえるために、丑三つ時に50名以上を手配する異常さと、、、

近江屋では、少人数で一刀のもとに切り捨てる、、やり方が全く違う、、、

寺田屋では、一般警察部隊、、、近江屋は軍隊の特殊部隊といったところだろうか、、、、。


※もしかしたら、この時点では、幕府側も龍馬というよりは、薩摩藩に対して牽制するという余裕があったのかも知れない、、、対応は、、、慎重だ、、、。

※、、少なくとも、この場面では「龍馬を捕らえよ」との指示はあるが、殺してはならない、、
という指示であったと思える、、それは、、龍馬が後に手紙に残しているが、負傷したときの状況から判断できる。

「敵壱人障子の陰より進み来たり、脇差を以って私の右の大指の本をそぎ、、、、」

龍馬はピストル(スミス&ウエッソン)を右手で持ち、、左手で支えた、、そこに障子の陰から脇指で切りつけられた、、右親指の付け根、、左親指間接、、左人差し指の根元の骨を切られた、、、全治2カ月の負傷であった。

つまり、、、捕り方は、龍馬の銃を狙ったのであって、致命的になる首や胴を狙っていない、、、殺害を目的にしていない、、ということだ、、、。


※■原市之進という人物

慶喜の側近に原市之進という人物が居る、、、懐刀、黒幕とも言われた、、
奥詰奥番兼目付という役職である、、

機密に関する政務を担当している、、、
かって、神戸の海軍操練所を過激派の巣(激徒の巣窟)だとして、担当就任の半年後にお役御免を言い渡している、、、
そのころから、龍馬には密偵をつけておりマークしている、、、
身近には、密偵を付け、、常に情報は入る、、亀山社中が使った櫻丸船内にも3名の情報提供者がいたことも知らされている、、、

※龍馬は、今回、三吉慎蔵と共に寺田屋に入る前に、大阪で幕府の政治顧問「大久保一翁」と会っている、、、、

大久保は「、、すでに、厳重に手配されている、、、」ことを龍馬に伝えている、、、。

伏見奉行所の異常なまでの捕り物は、幕府目付けの指示かも、、、とは、龍馬自身が後に手紙に書いている、、、

幕府側の筋を通す、、、一ツ橋派、、水戸人(みとっぽ)、、原市之進からすれば当然の公務であり、、、
、、、寺田屋騒動は、幕府内の急進派(大政奉還推進派)である、海舟、春嶽、大久保らに対する牽制であり、、、、また、薩長に対する牽制とも思えるのであるが、、、どうだろうか、、、。

※その原市之進は、龍馬暗殺の3ヶ月前、、慶応3年8月14日、、幕府内の攘夷派の刺客によって暗殺された、、大政奉還の2ヶ月前でもある、、、、、闇は深い、、、。

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※ここで、気がついたと思うが、、、龍馬は寺田屋に入る3日前、、大阪にいる、、

西郷と木戸との交渉に立ち会う予定に、、、、、龍馬が遅れて到着する、、、
「スマン!、、、風がわるーて船が言うこと聞かんのじゃ」

そうではない、、、、龍馬は一介の脱藩浪人である、、、薩長の立会いにあたり、、
勝海舟、松平春嶽、大久保一翁など幕府の「大政奉還派」、つまり、、、龍馬の後ろ盾の人物と連絡をとっていたのだ、、、

武器調達にはグラバーとも連絡を取り合っていたかも知れない、、、
龍馬が薩長連合の密約に立ち会うには、、、、それだけの準備が必要だ、、、

※かって、、脱藩を決意し、、生き場を失った龍馬が、、江戸で新たな生き方を見つける、、それは、千葉道場の千葉定吉の紹介であったが、、越前藩主の松平春嶽(慶永(よしなが))と出会う、、そのことで、新たな展望が開ける、、、春獄は勝海舟とも深い仲だ、、、長崎の商人小曾根乾堂とも親密だ、、、小曾根は亀山社中のスポンサーでもある、、、

また、譜代以来の旗本で、徳川家の中心にいた大久保忠寛(一翁)は、勝海舟を抜擢した人物だ、、

いずれも、井伊直弼の「安政の大獄」により、失脚した経緯を持つ、、、、

龍馬が、勝海舟、大久保一翁を師として仰いでいたことは、知られている、、、、
、彼らの実行部隊として動き、、また、後ろ盾にして動いた、、、のは事実だ、、、。


※最後の将軍、徳川慶喜が大政奉還を決意した裏には、松平春嶽(慶永(よしなが))の働きがあった、、。


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伏見は、、もういい、、、。

ここから、、、、京阪丹波駅まで歩き、、、今日の予定の京阪三条駅-祇園-霊山歴史観-龍馬、中岡の墓-清水寺-京都駅まで行くことにする、、、


-ーーーーーーーー書きかけですーーーーーーー



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