京都徘徊-その3(木屋町通り、、土佐藩邸跡付近)

2011.11.30
9:30ホテルを出る、、、、ちょっと昨夜の疲れが出ている、、、やはり昨夜の最後の酒がよくなかった、、
喫茶店でコーヒーを飲んで、、京都駅へ、、地下鉄で三つ目の烏丸御池で下車、、、ここから
ゆっくりと、、、京都市役所前まで歩く、、、、
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河原町通りの交差点を渡り、、、三条大橋の手前を右に曲がる、、、加茂川の支流のようだが、、ここは高瀬川、、、、三条から四条に向かって左側は「先斗町」だ、、、ポントチョウは、、、ポルトガル語のポント(先端)という意味で、、両側が川に挟まれて岬のような形から呼ばれたそうだ、、、、

朝の10時の木屋町は、、静かな通りだ、、、夜が商売の、、この街は、まだ、起きていない、、、、、
新宿と違うのは、、、このキレイな高瀬川の流れだ、、、、

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おや、、、高瀬川沿いに洒落たレストランもあるな、、、、
手前には、大村益次郎とか、、、佐久間象山の石碑がみえるのが、、京都という感じでいい、、
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三条から四条に向かう木屋町通りは、中頃の「京都土佐藩邸跡」を中心にして、、土佐藩士の寓居跡が多い、、、
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ただ、、通り過ぎてしまうかも知れない、、、
まずは、武市半平太の寓居跡(寓居は仮住まいのこと)、、、、とある、、、
半平太が、、、土佐勤皇党を立ち上げ、、若い藩主(豊範,)(容堂は、江戸にいる)と共に京に上り、、絶頂期のころだ、、、龍馬は、、、まだ浪人の身だ、、、。
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------wikipedia-----

半平太は長州と同様の勅命を土佐にも下させるべく同志を京に派遣して朝廷に働きかけ、これを受けた朝廷は薩長両藩に続き土佐藩を入洛させるべく山内家と姻戚関係にある三条実美を介して入洛催促の書簡を送った。

しかし、守旧派が多数を占める藩庁は婉曲にこれを拒否する返書を送った[30]。
吉田東洋暗殺のために延期になっていた山内豊範の参勤交代出立は6月28日となり、人数は通常600人程を2,000人に増員した大部隊になったと伝えられ[31]、半平太をはじめ島村衛吉・平井収二郎ら土佐勤王党の同志数十人も供奉した。

参勤交代の一行は播磨国姫路で麻疹の集団感染が発生して、豊範も罹患したため大坂での約一ヵ月の逗留を余儀なくされた。この大坂逗留中の8月2日に吉田東洋暗殺の下手人探索をしていた元下横目の井上佐市郎が岡田以蔵ら土佐勤王党に殺害されている。

参勤交代の行列を京都に留めようとする半平太の狙いとは逆に、守旧派は京都に立ち寄らずに江戸への東下を策謀していた。

このため土佐勤王党に同情的な大監察・小南五郎右衛門が江戸へ下って老公・容堂に藩主の入洛を説き、遂に容堂は朝命を拝受せよと決断した。

8月25日、豊範は京都河原町の土佐藩邸に入り、在京警備と国事周旋の勅命を受けた[32]。

閏8月に半平太と小南五郎右衛門・平井収二郎・小原与一郎・谷守部ら尊攘派が他藩応接役に任じられた[33]。

半平太は周旋活動のために藩邸を離れて、、、[三条木屋町に寓居を構え]、、長州の久坂玄瑞ら他藩の志士たちと関わる一方、三条実美や姉小路公知を始めとした朝廷内の尊攘派公卿とも交際を深め、藩主・豊範の名で朝廷に建白書を提出すると共に、幕府に対して攘夷督促する勅使を江戸に派遣するための朝廷工作に奔走する。

これらの動きが功を奏し朝廷が攘夷の朝議を決定した際、一橋慶喜がこれを覆そうと入京を画策したが、半平太は裏工作によりこれを一時妨害することに成功している

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次に「酢屋」、、、海援隊の京都事務所だ、、、龍馬は暗殺される前までは、ここを使っていた、、、
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今回の目的場所でもある、、近江屋跡(龍馬、中岡遭難の地)と菊屋跡(中岡寓居の地)であるが、、近江屋跡地は、コンビニが建っており、、前は河原町通りの繁華街だ、、、、誰も振り返る者もいない、、、、ただ花が添えられている、、、

伏見では、町興しで、、龍馬通りなど、、盛り上げたが、、京都1000年、、、ここでは、史跡が多すぎて、、龍馬などは、、歴史のカケラに過ぎない、、、、写真を撮っていたら地元の中学生数人が、、ここなに?、、カンケイないで、、、と言って通り過ぎた、、、。

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ここまで来て、、、気がついた、、、

土佐藩邸、、、酢屋、、、菊屋、、近江屋、、、同じ町内で、、数十メートルしか離れてないんじゃあ、、、ないのか、、、

菊屋にいる中岡慎太郎が、、、近江屋に向かう、、、と言っても、、、すぐ目の前、、見える所じゃないか、、、100mもないような、、、酢屋から近江屋に場所を代えたとしても、、、やっぱり100mもない、、、、土佐藩邸もそうだ、、、、

ここは、全部、、、「土佐町内会」の中にある、、、、しかも隣近所だ、、、先斗町の料理屋も多いし、、、互いの情報は、、、まるで、、、息がかかるほど、、、近いんじゃあ、、ないのか、、、

これは、、思っていたより距離は近い、、、やはり、、現場に足を運ぶというのは大切だ、、、

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拙者関連Blog

龍馬 脱藩 その1( 朽ちた大樹)
http://tokatu1.at.webry.info/201003/article_7.html

龍馬 脱藩 その2(咸臨丸)

http://tokatu1.at.webry.info/201004/article_1.html

龍馬 脱藩 その3(長州藩の本意)
http://tokatu1.at.webry.info/201004/article_2.html

慶応3年11月15日(陽暦12月10日)龍馬は中岡暗殺に巻き込まれた
http://tokatu1.at.webry.info/201011/article_1.html

ビールのようでビールでない  龍馬1865
http://tokatu1.at.webry.info/201012/article_4.html

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うーーーん、、、。
ちょっと考える時間をとろう、、、、先ほどの洒落たイタリアレストランへ、、、、
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※実は、、京都に来たのだから、、食事は「おばんざい」にしよう、、と決めていた、、
3ヶ所を目安をつけた、、先斗町の「おばんざいひめごぜん」、柳場通り「松富や壽いちえ」、「万彩はせがわ」、、、いずれもランチがリーズナブルなもの、、、
しかし、、「ひめ、、」は、エレベーターで上がるので、、気分的にやめた、、三条を下って、、長谷川は定休日、、一番予定の「松富や、、」に着いた、、、「本日は団体さんの予約につき、、」、、、、満席だと、、、
再び、、高瀬川に戻ったという次第です、、、、

高瀬川を見ながら、、、ランチタイムにした、、、高瀬川を鴨が泳いでいく、、、風情がいい、、。

ただ、、レストラン屋内は、、、女の子が多いし、、、、やたらうるさい、、、写真だと静かな雰囲気に見えるが、、隣では、、なにやらオバチャンらが喋ってる、、、、

「わしなあ、、、爬虫類、ごっつ、スキやねん、、カメレオン、あれ、、ええなあ--」

なんのこっちゃ!!、、、、雰囲気壊れるわ、、、

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あーあ、、、一休みしたら出発だ、、、三条から京阪で出町柳、、叡山電鉄で、、八瀬比叡山口、、、ケーブルで比叡山山頂に行く、、、、そこからバスで比叡山延暦寺、根本本堂に行く予定だ、、、、今夜は先斗町にくるぞ、、、。






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