「さいたま」に渡来した玄奘三蔵法師 その⑥ 上座部と大衆部 

、、、法師ら一行は、ブッダガヤに着く、、唐を出てから既に3年が経過していた。

■菩提樹と金剛座

法師は、ようやく菩提樹下の金剛座に行き着いたが、、あまりの衰退に嘆き、、悲涙を目にみなぎらせて泣いた、、、。

「仏道上のころ、私は何処でどのような生を送っていたか自分でも分からない。いま、像季にいたって、ようやくこの地を訪れることができた。思うに私はかくも罪業がふかいのであろうか」

※像季;正法、像法、末法の時代区分のうちの像法時代を指す

ここ数百年衆生は福縁薄く、、金剛座を見ることができない、、、
金剛座とは、、天地開闢以来の千仏は、みなこの金剛座に着くといわれ成道のところ、道場ともいわれる。
世界が揺れても、この所だけは絶対に動かない、、といわれる所である、、。

仏涅槃の後に、諸国の王は、、、金剛座の南北に境界として、二体の観自在菩薩像を立てた、、。
そして、、この菩薩像が没して見えなくなれば、、仏法はまさに亡びるであろう、、と言い伝えられた、、。

いま、、観自在菩薩像は胸まで没していた、、、。

ちょうど、その日は夏座(げざ)がとかれる日で、、数千人の衆僧がここにいたが、法師の嘆きの姿を見て、もらい泣きをせぬものはいなかった。

画像

<ナーランダの月 平山郁夫>

■仏教第一回結集(けつじゅう)と上座部

、、、竹園の西南五,六里に別の竹林があり、、石室がある、、ここは、尊者マハーカーシャバ(摩詞迦葉波)が、九百九十九人の阿羅漢とともに、如来涅槃の後に、、「三蔵」を結集したところである。

「迦葉」は「阿難」に向かって言った、、
「釈尊はいつも人々に、そなたは多聞第一で、もろもろの法をすべて知っていると言われていた。どうか貴方は座に上がって、人々のためにスートラ蔵を誦してください」、、すなわち一切経である。

阿難は、座に上がって一切経を誦し(一切の経)、、、、ウパーリに命じてウ”イナヤ蔵を誦し(一切の戒律)、また、迦葉が自らアビダルマ蔵を誦した(一切の論)、、、
こうして三ヶ月の安居中に「三蔵」をことごとく集め終わった、、、。

この結集が、、大迦葉が僧中の上座であったので、、「上座部」という。

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伝承によると、ブッダ入滅後、王舎城(ラージャグリハ)郊外に500人の比丘(阿羅漢)達(すなわち、五百羅漢)が集まり、最初の結集が開かれたという(五百結集または王舎城結集)。このときは、摩訶迦葉(マハーカーシャパ)が座長となり、阿難(アーナンダ)と優波離(ウパーリ)が、それぞれ経(経典)と律(戒律)の編集責任者となった。マガダ国の王アジャータシャトル(阿闍世王)が大檀越としてこれを外護(げご)したといわれる。また、文殊菩薩は十大弟子とも親しく、この結集に参加したとの伝承がある。

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※その後、、仏滅後100年に第2回の結集、滅後200年に第3回の結集、紀元2世紀に第4回の結集(北伝仏教)、南伝仏教は1世紀にスリランカで行われたいう、、、。

※ちなみに南伝仏教では、、、第5回仏典結集は19世紀マンダレー(ミャンマー)で、、、第6回は、仏暦2500年になった1954年ヤンゴン(ミャンマー)で行われたという、、、。

※阿羅漢:
今でいう有識者でしょうか、、有識者会議が行われ、、釈尊の教義を編集したのでしょうね、、、。

---------wiki-----------
阿羅漢 (あらかん、サンスクリット:arhat अर्हत् アルハット)は、仏教において、尊敬や施しを受けるに相応しい聖者のこと。サンスクリット語"arhat"の主格 "arhan" の音写語。略称して羅漢(らかん)ともいう。漢訳には応供(おうぐ)という意訳もある。もとは釈迦の尊称の一つであった。[要出典]
、、、
元々、インドの宗教一般で「尊敬されるべき修行者」をこのように呼んだ。[要出典] 初期仏教では、修行者の到達し得る最高位をこのように呼ぶ。[要出典] 学道を完成し、これ以上に学ぶ要がないので阿羅漢果を「無学位むがくい」という。それ以下は、不還果ふげんか・一来果いちらいか・預流果よるかを「有学うがく」という。(四向四果)


※----釈迦の十大弟子---wiki--

3.摩訶迦葉(まかかしょう)
パーリ語でマハーカッサパ(Mahākassapa、महाकस्सप)、サンスクリット語でマハーカーシャパ(Mahākāśyapa)。大迦葉とも呼ばれる、頭陀(ずだ) 第一。釈迦の死後、その教団を統率し、第1結集では500 人の仲間とともに釈迦の教法を編集する座長を務めた。禅宗は付法蔵 (教えの奥義を直伝すること) の第2祖とする。

10.阿難陀(あなんだ)
パーリ語でも、サンスクリット語でアーナンダ(Ānanda、आनन्द)。阿難とも書く。多聞第一(たもん・だいいち)。釈迦の従弟。nandaは歓喜(かんぎ)という意味がある。出家して以来、釈迦が死ぬまで25年間、釈迦の付き人をした。第一結集のときアーナンダの記憶に基づいて経が編纂された。120歳まで生きたという。


■大迦葉の結集に参加できなかった「大衆部」

、、、竹林の西二十里にアシャーカ王が建てたストーパがあり、大迦葉結集に参加できなかった、もろもろの学僧、一般の人々数千人が集まった。
「釈尊在世のときは、私たちは師を一にして、ともに学んだのに釈尊が入滅されて私たちは除名されてしまった。われわれも法蔵を結集して、仏恩に報じよう」
彼らはスートラ蔵、ウ”イナヤ蔵、アビダルマ蔵、雑集蔵、ドハーラニ蔵の五蔵を結集した、、。
この人々の中には、聖僧、凡僧が共に入り混じっているので「大衆部」という。

玄奘三蔵 西域インド紀行より

※その後、、仏教は分派し、、部派時代を迎える、、しかし、、、この大衆部を土台として、、後の、、大乗派が、、大きく飛躍するのです、、、。



、、、、書きかけです、、、、





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