「さいたま」に渡来した玄奘三蔵法師 その⑦ 大般若経(究極の智慧の教え) 

再び、、、龍樹(ナガールジュナ)ら大乗「中観派」の理論にチャレンジする、、、。

ここでは、エッセイストで市川市在住の渡辺洪氏のサイトから、、つまみ食い、、、。

龍樹が打ち立てた空の理論(空観)は、、龍樹らが活躍した100年前(1世紀)に編集された大乗仏教経典の総称で、、「大般若経(大般若波羅蜜多経)」600巻という膨大な経典を研究して得たものとされる。

そのことでも解るように「大般若経」は、大乗派の経典である。

現在日本で使われる「般若経」は、玄奘三蔵法師が翻訳したものが殆んどだといいます。
天竺求法の17年間、、そして翻訳に17年間に渡る、、生涯を賭けた玄奘の成果である。

※漢訳が、、龍樹の時代から500年経過して、玄奘三蔵の手によって解釈したとき、、原書と同じであるのかは、、、解らない、、大乗派における「如是我聞」は、、更に進化を予測する、、。

よく聞く「般若心経」は、、「大般若経」のダイジェスト版のことです、、、が、、般若心経は、偽経の疑いが有るらしい、、、

パンニャーパーラミッタの後世のサンスクリットテキストは存在するが、、原書は存在しないという、、、。

※般若経((大般若波羅蜜多経;パンニャーパーラミッタ))とは、、直訳すれば「究極の智慧の教え」と言う意味である、、、「般若心経」とは「究極の智慧の教えのダイジェスト版」という意味である。

※智慧≠知恵
一般的に仏教では、、知恵は、自分のメリットを考えた判断で自己中心的な発想とし、、
智慧は、修業によって得られる「悟り」の発想で、般若波羅蜜多(パンニャーパーラミッタ)というように分けている、、ので、、ここでは智慧か、、。

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『大般若波羅蜜多経』(だいはんにゃはらみったきょう)とは、大乗仏教の基礎的教義が書かれている長短様々な般若教典を集大成したものである。通称は大般若経で、般若経(はんにゃぎょう)と略称することもある。600巻余の膨大な経典である。

般若経典は150年頃に現在の形の原形が成立し、サンスクリット文字にて文書化され、以後長短様々な般若経典へと発展していった。

630年頃、玄奘がインド等からそれらの般若経典群を中国へ持ち帰り、更に玄奘自ら翻訳の指揮を取って4年の歳月を掛けて漢訳し、663年『大般若波羅蜜多経』が完成した。 この漢訳は広く日本にも伝えられており、現在日本国内の各寺院に保存されている大般若経はこれである。
、、、、、
なお、この膨大な教典を300余文字に要約したものが『般若心経』であるという説があるが、『大般若波羅蜜多経』には般若心経そのものは含まれておらず定説はない。ただし古来類似した部分があることは知られているが、この部分は鳩摩羅什訳『摩訶般若波羅蜜経』の該当部分の方が般若心経のテキストに近いので『般若心経』偽経説の根拠となっている。

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①般若(はんにゃ、サンスクリット語: प्रज्ञा, prajñā,プラジュニャー; パーリ語: पञ्ञा, paJJaa,パンニャー、漢訳音写:斑若、鉢若、般羅若、鉢羅枳嬢など)は、一般には「智慧」といい、仏教におけるいろいろの修行の結果として得られた「さとり」の「智慧」をいう。ことに、大乗仏教が起こってからは、般若は大乗仏教の特質を示す意味で用いられ、「諸法の実相」である「空」と相応する「智慧」として強調されてきた
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②一方、言語学的に支持されているのは、Pāramitā を、"pārami"(<parama 最高の)+ "tā"(状態)と分解する説で、「究極最高であること」「完成態」と解釈すべきとしている。
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※①+②から般若経(大般若波羅蜜多経)とは、、、、「最高の智慧の教え」とすべきか

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龍樹らが大乗経を広めた時期は、、、、釈迦直伝を自負する初期仏教(上座部)であるアビダルマとの、、激しい論争の渦中でもあった、、、。

前のBlog「さいたま」に渡来した玄奘三蔵法師 その④ 龍樹の中論 火と薪、我(=アートマン)、空、ゼロ、、、、でも、、

人我は離蘊(りおん)のアートマンでもなく、、即蘊(そくおん)のアートマンでもない、、「非即非離蘊(ひそくひりおん)」、、、である。

このような、、何々では無い、、しかも何々でも無い、、が続く、、「否定の論理」で、、アビダルマの論を否定して行く、、ことで対峙した、、、。

また、正反対の概念を、別々のものと考えず、、別々の概念を一つにしてしまう、、という論法になった。
例えば「煩悩即菩提」とは「煩悩」という迷いの世界と「菩提」という悟りの世界が、、「一」であるという、、、「相即思想」となった。

空というのは、実体が無いのだから、、それは逆に不二、即一、一如でもある、、、、
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※例えば、、、水がH2Oという水素と酸素のから成り立っている、、とするまではアビダルマ(大乗派からは小乗経)だが、、、それでは水素が実体で酸素が実体か、、、と言えば、、水素といっても、、所詮は、、ある関係性(縁起)の中で存在するので、、突き詰めれば「空」、、、ということなのか?

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※■縁起■
縁起、サンスクリットでプラティートヤサムウトバーダ(pratiyasamutpada)は、、、、
「あるものに」依りて「あるものが」生ずること、、、ということだ、、。

つまり、、、両者の関係性を意味するのが「縁起」であるのだが、、、
仏教では「生ずること」と、、「生ずるもの」を区別しないことがあり、、実は、、これが、、重大な意味を持つことになる、、。「性質」と「基体」が区別なく総体として捉えることがしばしばある、、、、

般若心経で有名な、、「色即是空」「空即是色」では、、「空なるもの」、、なのか、、「空なること」、、なのかを明確にしない、、、サンスクリット語や英語では区別される「名詞」と「形容詞」で、、バラモンで明確にされた「性質」と「基体」は、、、、、中国語、日本語の仏教では、、この、、区別が意識されない、、(マンダラという世界 立川武蔵著より要約)

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日本の仏教は、、南都六宗の三論宗、法相宗、成実宗、俱舎宗、律宗、華厳宗、そして天台宗、真言宗、、、更に鎌倉仏教も、、龍樹を師と仰ぐのである。

龍樹は言う、、仏陀は世俗に覆われた立場での真理(俗諦)と、、究極の立場から見た真理(真諦)の二つを説いたのだ、、、、、。

釈迦滅後700年が経過し、、弟子達が残した初期仏教に対して、、、もはや、大乗派では、釈迦は理想的、観念的な存在になっていた、、、と言えるのでは、、、。


空の理論では、、もうひとつの大乗派「唯識派」は、、認識作用を実在すると認める、、玄奘三蔵法師は、、、その唯識を求めて17年間の天竺求道の旅に出た、、、。

「この際は、西域に赴き、、釈の疑惑を正すべく、、「十七地論」=「瑜伽師地論」をもって解決の道を得よう、、」と、、求法を誓ったのです。

-----wiki-----瑜伽師地論---

表題は「ヨーガ行者の階梯」の意。100巻、弥勒菩薩説、唐・玄奘訳(大正蔵・30)。ただし、チベット訳では無着所説という。

「世親」の兄である「無着」(asaNga, असण्ग)が、兜率天に住む弥勒菩薩(maitreya मैत्रेय)の説を聞いて著したといわれている。瑜伽行(yogaacaara)の観法を詳説したものである。

内容[編集]

本書は、瑜伽行者が認識する対象(境)、修行、果を明らかにしたもので、阿頼耶識説、三性三無性説、唯識説、その他のさまざまな問題が詳しく説かれている。
組織は5つからなり、第1本地分では、三乗の思想を、
1.五識身相応地
2.意地
3.有尋無伺地
4.無尋唯伺地
5.無尋無伺地
6.三摩哂多地
7.非三摩哂多地
8.有心地
9.無心地
10.聞所成地
11.思所成地
12.修所成地
13.声聞地
14.独覚地
15.菩薩地
16.有余依地
17.無余依地

の17地に分けて説き、第2の摂決択分では本地の中の要義を説明し、第3の摂釈分では諸経の儀則を解釈し、第4の摂異門分では経典中の諸法の名義を解釈し、第5の摂事分では三蔵の要義を解釈している。

なお、これらの部分訳がある。
『菩薩地持経』10巻 北涼 曇無讖訳 菩薩地
『菩薩善戒経』9巻 宋 求那跋摩訳 菩薩地
『十七地論』5巻(散佚) 梁 真諦訳 本地分の初め
『決定蔵経』3巻 梁 真諦訳 摂決釈分の初め

本書に影響をうけた論書に、次のようなものがある。
『顕揚聖教論』20巻
『大乗阿毘達磨集論』7巻
『摂大乗論』無著著
『摂大乗論釈』世親著
『仏性論』世親著
『成唯識論』護法著

なお、下記は菩薩地と同じ名前であり、菩薩地に基づいて内容を発展したものである。
『大乗荘厳経論』13巻(mahaayaanasuutraalaMkaara)

註釈書[編集]
『瑜伽師地論略纂』16巻 基
『瑜伽論記』48巻 遁倫


※やっぱ、、難しそう、、、。


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■玄奘訳『大般若波羅蜜多経』(663年)以前の般若経


『八千頌(じゅ)般若経』(
Aṣṭasāhasrikā-prajñāpāramitā-sūtra)(紀元前後 - 1世紀)
大乗仏教初期に編纂され後の仏教発展の基礎となったと考えられている。
現存サンスクリット本に対応する残存する漢訳は、『道行般若経』支婁迦讖訳(179年)、『(小品)摩訶般若波羅蜜経』鳩摩羅什訳(408年)、のほか計4本である。
ネパールでは九法宝典(Nine Dharma Jewels)の一つとされる[1]。

『二万五千頌(じゅ)般若経』
(Pañcaviṃśatisāhasrikā-prajñāpāramitā-sūtra) 
現存サンスクリット本に対応する残存する漢訳は計3本、『摩訶般若波羅蜜経』鳩摩羅什訳(403年、大品般若経) は中国・日本の仏教形成に大きな影響を与えた。

『金剛(こんごう)般若経』
(Vajracchedikā-prajñāpāramitā-sūtra)
この経は「空」を説く般若教典の中で「空」という用語が使われていないため最古層に編纂されたものであるとする意見もある。
漢訳は、『能断金剛般若波羅蜜多経』玄奘(648年)ほか計6本あるが、鳩摩羅什訳の「金剛般若波羅蜜経」(402年)が主に使用されている[2]。
空海請来と称するサンスクリット本があるが真偽のほどは明かではない。

『般若心経(はんにゃしんぎょう)』
(Prajñāpāramitā-hṛdaya)
最古のサンスクリット本が法隆寺に伝わる。(7~8世紀の写本とされている)
残存する漢訳は、『摩訶般若波羅蜜大明咒経』鳩摩羅什訳(402年 - 413年)、『般若波羅蜜多心経』玄奘訳(649年)があり、こののちも4本残存するが、玄奘訳が人口に膾炙している。


ほかに玄奘訳『大般若波羅蜜多経・第十会・般若理趣分』は、真言宗で重用する理趣経即ち『大楽金剛不空真実三摩耶経 般若波羅蜜多理趣品』不空訳(720年 - 774年)と比較的近いサンスクリット本の翻訳とされている。

なお、漢訳との対応関係が曖昧な般若経典として以下のものがある。
『十万頌(じゅ)般若経』(Śatasāhasrikā-prajñāpāramitā-sūtra) 現存サンスクリット本に対応する漢訳はないため、鳩摩羅什(344年 - 413年)の時代には編纂されていなかった可能性がある。玄奘訳『大般若波羅蜜多経・第一会』との対応は明確でない。




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