空と海と  その3( 長安)

長安の都の、雑踏の中に空海はいた、、、、

人混みが大きな輪を作っている、、中にはペルシャ生まれの少女が舞っている、、
「肌膚は玉の如く、鼻は錐のごとし」と詩人李端は書いた、、、
その美しい少女が舞っている、、
空海は人混みの後から、伸び上がって娘たちの舞を見ていた、、、。

<原宿のホコテンを見るようであるかも、、、>

激しく舞う娘に、、心臓がどきどきと高鳴った、、、であろうか、、異国の街での毎日が新鮮であった、、、

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延暦23年(804)7月6日、、4艘の遣唐使船が肥前国(長崎県)田ノ浦を出航した、、、、
第1船には空海、、、第2船には最澄が乗船している、、、航海はすぐさま暴風雨に会う、、一艘は大破して無人島に漂着、、、一艘は消息不明となる、、空海の乗船する第1船は、通常10日の船旅を、34日も漂流して赤岸という田舎の海岸に着いた、、、航海技術、造船技術は他国に比べて遅れている、、

赤岸では、こちらに通訳方がいるにもかかわらず、言葉が通じない、、海賊扱いされ、無為に2ヶ月を費やすのだ、、、

ここでの空海も伝説的である、、、
役人の葛野麻呂(かどのまろ)が嘆願書を書き、必死に交渉するも拉致があかない、、、そこで、空海が文章を書いて先方の地方長官に通すと、、その書の文章レベルの高さに驚き、、、すぐさま長安に確認をし、、その後は、国賓扱いとなるのである、、、この話は、現地でも、今だに語られているという、、、

乗員120名のうち、23名が赤岸から2400km先の長安に向かったのは、11月3日、、、一行が長安に着いたのは、すでに12月21日になっていた、、、
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<西安(長安)南大門の窓から見る道はシルクロードにつづく>


その頃の長安の人口は100万人、、、異民族が行きかう国際都市である、、、金髪、緑の瞳、、皮のコートに長靴、、西域の民も多い、、、長安には4千名の異国の使臣、随員が滞在している、、、喧騒の街を、、今、、空海は歩いている、、、
都市は刺激的だ、、、西域風の酒家もある、、、

紅粉、壚に当れば弱柳垂れ
金花の臘酒、余醿を解く


「僧であるのが気の毒だな」、、、と、、、、同行した橘逸勢(たちばなの はやなり)が言う、、彼は儒学者留学で僧衣ではない、、、、
※この留学後、空海は逸勢(はやなり)を、生涯の友人として付き合っている。

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<仏教伝来の道 平岡郁夫と文化財保護 特別展チケットより>


空海は居室として西明寺の一室を与えられた、、、西明寺は玄装三蔵が設計したもので、その大きさ威厳は想像以上であった、、

奈良の都でもそうであったように、、、空海は長安の寺を歩く、、、
ここでは、様々な異教徒がいたようだ、、、

「祆教(けんきょう)」は、拝火経と呼ばれたが、、
祭壇に火が燃えている、、ペルシャ寺である、、、アフラマズタは善を想像し、アンラマイニュは悪を創造する、、、それが宇宙だ、、

「マニ経」はウイグル人に多く、
、寺院の周囲に生活している、、、交易商人が多い、、、教祖は「マニ」といい、、キリスト教と土俗のゾロアスター経を加えてマニ経を起した、、、

「景教」は白亜の塔をもって居住地近くにあった、、、キリスト教の異端である、、、
コンスタンチノーブルの司教のネトリウスによって唱えられた、、マリアを神の母ではないとして異端と宣告された、、
寺院は大奉寺と呼ばれている、、、境内には、天地創造から、やがてキリストが誕生するまでが記されている、、、。

空海は「長安城中の諸寺を歴訪し、師衣を択び、求む」と、、、、諸寺を歩き、、ある時は論じ、、異国の文化を吸収していたのである、、、

長安滞在、、、5ヶ月、、、、密一乗の最高権威である青竜寺の[恵果]には、、、、いまだ遇わない、、、、、、、。

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一方、、、
第2船の最澄が、明州に着いたのは8月末、、さすがに体調を崩し、暫しここに留まる、、、
最澄は長安には行かない、、既に自分の目的はただ、ただ天台法華教学の求法である、、、

9月15日滞在許可を得て、、天台山に向かうが、、、160km離れた台州の臨海を経由する、、ここでは龍興寺に『摩訶止観』の講義に来ていた中国天台宗第7祖、道邃(どうずい)和尚に会うためである、、ここで大乗菩薩戒を授かる、、、

天台山国清寺の行満に学び、、、翛然(しゅくねん)から禅、順暁(じゅんぎょう)から密教の灌頂を受ける。

順暁は、不空三蔵(インド僧)の高弟である、、、「不空」は、皇帝「代宗」に厚遇され、、たびたび呪術を顕わし、、密教の人気を高めた超能力者だ、、、後に空海が相伝を受ける「恵果」の師である、、、、
たしかに、、唐の時代に密教がインドから伝法され、呪術が皇帝に受け、、新しいジャンルとして興隆した、、、ただ、、最澄は、、”ついでに”、、灌頂を受けてしまった、、、

この密教の灌頂が、、帰国してからの空海とのアキレス腱になってしまう、、、、

(805)5月18日、、二百三十部四百六十部の経典、、仏画、仏像を持って最澄は帰国の途につく、、、


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空海は長安の都に居る、、、、インド僧の般若三蔵や牟尼室利三蔵からサンスクリット語を学んでいたと思われる、、、
※般若三蔵は自分の漢訳した「華厳経」「大乗理趣六波羅密多経」「守護界主陀羅尼経」などを本人から直接空海に与えている、、、「日本に行きたいけど、残念だが機縁が熟さないんだ、、君にこれをあげるから、持って帰ってくれ、、」ということらしい、、。

5月、、、折しも最澄が帰国した月に、、、空海は青竜寺の[恵果]和尚に初めて会うのである、、、、

恵果の門人は三千人と言われるが、、、和尚は病におかされていた、、、また、唐の宗教勢力は道教に流れているので、最盛期は過ぎている、、

異常であった、、
恵果は空海を見るなり、笑みを含んで歓喜したという、、、

「我、先より汝の来たるを待つや久し。今日相見る、大好(タアハオ)大好(タアハオ)」

ひと目見ただけで、この若者に両部(金剛頂経、大日経)を譲ってしまうのだ、、、、
6月、7月、8月と伝法灌頂をおこなった、、、、恵果門人の筆頭となってしまった、、、

他の門人からすれば、、<おいおい、ジーちゃんだいじょうぶか>と思える、、、

弟子が、珍賀という同門の僧に訴えると、、
珍賀は「これ門人にあらず。須く諸経を学ばしむべし」
和尚よ、、「彼はあなたの弟子ではないでしょう、、まずは弟子として教えなさい、教えもせずに相伝するとは、どうゆうことですか、、」と不満を訴えるが、、、恵果は、ただ無言で首を振る、、、、

憤然とする珍賀だが、翌日、、、一変する、、、
夢に恐ろしい外護神の四天王が現れて、「珍賀は、ぶったり、蹴ったりされ、、足の下に踏みつぶされる」夢を見たという、、「わしが間違っている、、、」と門人たちに言いふらして、驚かした、、、、とか、、、とか、、、、

※空海の行動パターンが見える、、、7年間の充電と、唐突な留学、、、、5ヶ月の長安生活と、唐突な相伝、、
空白期間があり、その間は、自主トレーニングと人脈作りなど環境整備、、、そして、一気に開花する、、、

空海の留学目的は明確だ、、密教を極めること、、、、なのに青竜寺の門はたたかない、、、

もし、、、準備なく恵果の門人となれば、、、他の留学僧と同じく、、20年間の時を費やすことになったかも知れない、、、
日本に帰ることもないかも知れなかった、、、


「恵果」和尚は、翌年1月入滅する、、空海に両部の伝法灌頂を終えて、わずか5ヶ月ほどであった、、、

やがて、、、武宗皇帝による廃仏政策、、、現世利益や呪術で競合する中国古来の「道教」との競争に負けて、その後の中国における密教は途絶することになる、、、
空海がこの時期に遣唐使船に間に合い、、恵果から伝法を受けたタイミングは、、、絶妙であった、、、と言える、、、。




空と海と   その4(mantra  )
http://tokatu1.at.webry.info/201102/article_3.html

空と海と  その3( 長安)
http://tokatu1.at.webry.info/201101/article_9.html

空と海と   その2(桓武天皇)
http://tokatu1.at.webry.info/201101/article_7.html

空と海と  その1(三教指帰)
http://tokatu1.at.webry.info/201101/article_6.html






ーーーーーーーーーー書きかけですーーーーーーー








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