テーマ:仏教

じーさん徘徊 東北の夏 花巻その2  春と修羅

恋と病熱 けふはぼくのたましひは疾み 烏からすさへ正視ができない  あいつはちやうどいまごろから  つめたい青銅ブロンヅの病室で  透明薔薇ばらの火に燃される ほんたうに けれども妹よ けふはぼくもあんまりひどいから やなぎの花もとらない 、、、 春と修羅   (mental sketch modi…
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柴又帝釈天の板曼荼羅が真跡なら、、

映画の寅さんで有名な柴又ですが、、参道の団子以外にもウナギ、川魚料理などを目的に出かける人も多い、、。 もちろん、、ここは帝釈天を本尊としたれっきとした日蓮宗のお寺です、、。 ----------題経寺サイトより-------- 経栄山題経寺(日蓮宗)と言い、寛永年間(1629)に開基され、開山上人を下総中山法華経寺第十九…
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市川考古歴史博物館--② 大野の旧住民は成田の新勝寺に参拝しない

市川市の大野は、かって平将門(たいらのまさかど)の出城(でじろ)があったという言い伝えがあります。 奈良時代から平安時代へ、、朝廷の勢力は律令国家の熟成期、、蝦夷征伐にも力がそそがれ、、蝦夷地を制圧、、霊亀元年(724:奈良時代)陸奥の国が造られた、、坂東など八カ国から1000戸の住民を陸奥に移住させ、、開拓にあたらせます。 …
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市川考古歴史博物館 国府台-頼朝の再挙-千葉氏-冨木常忍

あれ、、運転免許証が期限が切れる!、、じーさんは今回から3年で更新であった。 あわてて、、高齢者講習を申し込み、間に合ったのは1か所、、市川市国府台の自動車学校、、13:00から15:00の2時間の受講を受けることにした。 この学校の近くには、、古くは大和王権の古墳が有り、、律令時代には国府、国分寺が置かれ、、鎌倉時代には千葉氏…
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じーさん徘徊 正月の富士山周遊 その2  法連寺(松野)

   <法連寺から富士を見る> 富士川に沿った山間の集落であるが、現在は住居が景観を阻んでいる。 法連寺は、「あの方」の後継、、六老僧の一人、、日持上人誕生の地と言われるが定かではない、、、。 Googlで空から見れば、、駿河湾、富士山、富士川の位置が良く分かる、、、。 そして、、富士川の反対側には、、岩本実相寺がある、…
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じーさん徘徊 正月の富士山周遊 その1 (loop around the Mt Fuji)

女房と2人だけの正月は、、どうも、話題がうじうじと消極的になって面白くない、、。 急に富士山が見たくなった、、。 暮れからの腰痛も回復してきたし、、急きょホテルとレンタカーの予約をして、、家出する。 新幹線こだまで「新富士」着、、まずは、やはり「田子の浦」海岸でしょうね、、、 天気は上々、、素晴らしい富士山の…
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六老僧 日頂は 弘法寺(葛飾真間)から母と正林寺(重須)へーー⑤

■日頂の泣き公孫樹(いちょう)伝説 「あの方」の三回忌(1284)に日頂が遅参したとされる(中山法華経寺)ことで、義父の冨木常忍のもとに釈明に向かった日頂であったが、冨木常忍は許すことはなかった、、、。その後、、、 --------------------------------------------- …
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六老僧 日頂は 弘法寺(葛飾真間)から母と正林寺(重須)へーー④

■日頂と日向は、、師の葬列に参加していない? あの方は、、 弘安5年(1282年)10月13日、辰の刻(午前8時頃)、すべての化導と相承を終、弟子・檀越が唱題するなか、御歳61歳をもって入滅された。 この時、地震が起こり、10月に桜が咲いた、、という伝説がある。 前9月25日には、弟子達に「立正安国論」の講義をされた…
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六老僧 日頂は 弘法寺(葛飾真間)から母と正林寺(重須)へーー③

■伊与房(日頂)は、文永10年4月に佐渡に到着した、、。 文永8年(1271)11月(新暦1272.1)に、、あの方が極寒の佐渡の塚原に流配されてから半年が過ぎ、、翌年春、、4月に配所は塚原から一の谷に移ります、、。 富木殿の養子となっていた伊与房(日頂)は、富木殿の従者とともに佐渡に向かった、、 日頂の佐渡行きは…
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六老僧 日頂は 弘法寺(葛飾真間)から母と正林寺(重須)へーー②

■真間釈迦仏供養逐状(真間仏供養抄) 冨木殿(1215-1299:富木五郎左衛門尉胤継:千葉氏被官:出家して常忍) は、真間の「御所領堂」に釈迦仏を建立したことを「あの方」に報告した、、。 それに対する返事が「真間釈迦仏供養逐状」健治3年(1277.9.26)です。 -----------------------------…
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六老僧 日頂は 弘法寺(葛飾真間)から母と正林寺(重須)へーー①

弘安5年(1282)9月、、、あの方は、9カ年を過ごした甲斐の国の身延を離れ、、故郷安房の国を目指していた。 体調はおもわしくない、、冬を前に地頭の波木井実長からの勧めで茨城常陸の湯に養生するための旅であった。 あの方を馬上に、一行は鎌倉街道から、、、多摩川に向かった、、多摩川河口から舟に乗る海路が負担が少ないと考えたのでしょう…
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じーさん徘徊 そうだ!鎌倉に行こう-⑪ 金沢百景 二子浦~六浦 船中問答

JR総武線下総中山駅と西船橋駅の中間にある地名「二子(船橋市)」であるが、、、かっては、「市川砂州」と呼ばれる低湿地帯に面していたらしい、、、そして海岸線は、この場所まできていたのだ、、この「二子浦」から千葉氏被官の冨木常忍の館までは、現在残る「二子の池」伝説を頼りにすれば1200mである。 冨木常忍が鎌倉へ通勤するには、…
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じーさん徘徊 川越 星野山 無量寿寺(天台宗別格本山 中院)その1

自宅から1時間半、、、最近は人気の観光地となった「川越」に行く、、、 すごい、、人気の「蔵通り」「お菓子横町」は足の踏み場も無いほどの人ごみ、、、 外国人も多い、、 30年ほど前になるが、、、サラリーマン時代、、地元埼玉県では有力な地場企業のS事務機という会社さんと一緒にセールス活動をしていた。 S事務機は、コンピュータ…
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シャーリープトラとマウドゥガリヤーヤナ

シャーリープトラ(舎利弗)とマウドゥガリヤーヤナ(目連)は、、、釈迦10大弟子で、、舎利弗は智慧第一と言われマガダ国の王舎城(ラージャガハ)北、那羅陀(ナーラダ、現ナーランダー)村出身で裕福なバラモンの家に生まれた、、、 目連は神通第一と呼ばれマガダ国の王舎城北、拘利迦(コーリカ、或いはコーリタ)村の バラモンの裕福な家に生まれた…
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曽谷山 法蓮寺  その1

自宅から車で15分、、女房の実家に近い市川市大野の丘の上にある法蓮寺は、「あの方」の従兄弟(母方の縁者)とも言われている関東武士の曽谷教信が出家して晩年に創建(建治三年 1277)しました。 曽谷教信は、松戸の本土寺の創建にもかかわっています。 拙者Blog 身池討論(1630)国家権力との迎合 http://tokatu1.…
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身池討論(1630)国家権力との迎合

1カ月まえになるが、、、 紅葉真っ盛りな、、松戸市平賀の本土寺に行ってきた。 本土寺の紅葉観賞は2回目であるが、前回は門前の漬物屋と白いお洒落なcafeでお茶をしたことしか記憶に無かったので、、今回は深入りする、、、。 平賀の本土寺は、千葉氏の家臣で大野の曽谷教信(曽谷法蓮日礼)が地蔵堂を改宗して法華堂…
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じーさん徘徊 そうだ!鎌倉に行こう-⑩  私は仏にはならないと請願した菩薩

武士は殺生を逃れられない、、、戦では人を殺す、、それは、仏教的には成仏できない、、 鎌倉武士と、、その女房には、、救われない思いが強かった、、、。 そんな中で、、仏になることを拒否して、、たとえ地獄に落ちても、、現実の苦悩に立ち向かおう、、ひたすら、、現実と向かい合う修行者でありたい、、菩薩、、という姿こそ鎌倉武士に救いを与え、…
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じーさん徘徊 そうだ!鎌倉に行こう-⑧ 材木座(zaimokuza) 浜土流 実相寺  

<鎌倉材木座海岸の海の家でビール> 鎌倉の材木座海岸、、、、、 名称は鎌倉時代に鎌倉七座(米座、相物座、博労座、炭座、材木座、絹座、千朶積座)という商工組合があり、これに由来する。(Wikipedia) 1953年に、鶴岡八幡宮の一の鳥居と海岸の間の、滑川の東岸にあった「材木座遺跡」を発掘調査した際に、約65…
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じーさん徘徊 そうだ!鎌倉に行こう-⑦千葉介頼胤(ChibanosukeYoritane)と家臣

文永八年9月12日深夜、、「あの方」は、江の島に近い刑場「瀧の口」で首を刎ねられようとしたが、、その時、、不思議な光る物体が辰巳の方向から戌亥の方向に飛んだと言われ、処刑は延期されたのです、、、。 ※このエピソードは後世の付会とする懐疑的な見方がある、、しかし、、「あの方」自身が後に記した「種々御振舞御書」などから、、当時、何らか…
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じーさん徘徊 そうだ!鎌倉に行こう-⑤  長谷 (hase) 

文永八年(1271)9月12日、、真夜中、、 「あの方」は、、馬に乗せられ、、護送の兵士に囲まれて、、小町大路(komachiooji)を南下、、やがて右折して 西へ向かった、、、 鶴岡八幡宮からまっすぐに海岸に向かって伸びる表参道「若宮大路」との、、交差点、、下馬四角(、、と思われる)に差し掛かった時のことです、、。 若宮大路…
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じーさん徘徊 そうだ!鎌倉に行こう-④ 雪の下~小町大路(komachiooji)

<「雪の下茶屋」で鎌倉ハンバーグランチ> 歩き疲れて昼食にする、、今回も、、ビールが、うまい!。 <鶴岡八幡宮から横浜国大付属鎌倉小学校の横を通り、、大倉山の頼朝の墓に向かう> 残念、、 雪の下の頼朝の墓は、、江戸時代1779年(安永8年)に薩摩藩の島津重豪(しまづしげひで)が建てたものです。 頼朝墓を…
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じーさん徘徊 そうだ!鎌倉に行こう- ① 名越(nagoe)

「あの方」が12歳(1253)で、故郷の安房小湊の清澄寺に登ってから、、ここを離れて、、鎌倉に留学するのは16歳のときである。 鎌倉へは房総半島の港から船に乗り、、三浦半島に渡るが、、この航路は幾度も使っていたであろう。 現在、、浜金谷から三浦の久里浜へ約40分間の東京湾フェリーが運航されているが、、、. 房総半島と三浦半島間…
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じーさん徘徊  ボロブドウール寺院(インドネシア、ジャワ島)は大乗教密教系だった

2014.12.26~12.31 体調不充分ながら、、予約を入れておいたジャワ・バリの旅に夫婦で出かけた、、。 ツアーの募集は、60歳以上の限定だったが、、、この日の参加者は私達1組のみであった。 「現地ガイドさんは、、もうKさんの専従ですので何でも言ってください」、、 と成田で旅行会社の担当者は言うが、、かえって煩わしいわ、…
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空と海と その⑤  高樹多悲風

<空海の書は画と見える[飜]:[翻」> 場所と時とを、、、長安に戻す、、、、。 「窓を開けよ、、、」 空海は、言われるままに、恵果の枕元に近い窓を開けた。 十二月の冷気が、部屋に入り込んできた。 、、、 「空海よ、そなたにもはや授けるべきものはない」 、、 「空海よ、そなたに出会えて、本当に良かった、、、…
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「さいたま」に渡来した玄奘三蔵法師 その⑧  法論 大乗はガバーリ外道? 付記:日本の法論

「法論」は、仏教では議論、討論、論争のことですが、、法論は真剣勝負なので、、、この勝負のケジメは、厳しい、、。 このディベートに負ければ、、相手の論に従う、、相手の門下になる、、あるいは袈裟を脱ぐ、、といったものである。 -------------- ナーラン寺に戻った法師は、正法蔵戒賢法師の指示で、、衆僧に「摂大乗論」や…
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古代アーリア人の宗教 インドラ神のお気に入り「ブアジュラ」

この写真の軍神「インドラ神」が左手に翳しているのは、「ブアジュラ(サンダーボルト)」という武器です、、、。 インドラ神は無敵の戦士と言われ、、、アーリア人は出陣するときは、インドラ神の加護を祈ったのです。 <インドラ神は、、漢訳されて、、帝釈天となる> 紀元前1750年頃、、中央アジアを拠点としていたアーリア人の部…
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「さいたま」に渡来した玄奘三蔵法師 その⑦ 大般若経(究極の智慧の教え) 

再び、、、龍樹(ナガールジュナ)ら大乗「中観派」の理論にチャレンジする、、、。 ここでは、エッセイストで市川市在住の渡辺洪氏のサイトから、、つまみ食い、、、。 龍樹が打ち立てた空の理論(空観)は、、龍樹らが活躍した100年前(1世紀)に編集された大乗仏教経典の総称で、、「大般若経(大般若波羅蜜多経)」600巻という膨大な経典…
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「さいたま」に渡来した玄奘三蔵法師 その⑥ 上座部と大衆部 

、、、法師ら一行は、ブッダガヤに着く、、唐を出てから既に3年が経過していた。 ■菩提樹と金剛座 法師は、ようやく菩提樹下の金剛座に行き着いたが、、あまりの衰退に嘆き、、悲涙を目にみなぎらせて泣いた、、、。 「仏道上のころ、私は何処でどのような生を送っていたか自分でも分からない。いま、像季にいたって、ようやくこの地を訪れ…
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「さいたま」に渡来した玄奘三蔵法師 その⑤ ガンダーラの仏典 

※、、、玄奘三蔵法師一行は、、東南に山道を進むこと五百里あまり、、健陀羅国(ガンダーラ国)に至った、、。 この国の東は信度河(インダス河)にのぞみ、、都城は布路沙布羅(ペシャワール)という。 ※ガンダーラはギリシャ史料に、、Gandarae、、ダリウス碑文にGandaraとある、、。 「アレキサンダー大王」の東征以来、、多数の…
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「さいたま」に渡来した玄奘三蔵法師 その④ 龍樹の中論 火と薪、我(=アートマン)、空、ゼロ、

玄奘三蔵法師の訳した「唯識三十頌」が、小生には難しすぎるので、、、 しばし後回しにして、、 「龍樹 空の論理と菩薩の道」瓜生津隆真著から、、 大乗教の2大派閥の一方である、、、「中観派」の代表である龍樹菩薩の「空」に関する、、つまみ食いをする、、。 ことによったら、、「バチアタリモノが~」、、と、何処かの坊さんに怒られる…
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