テーマ:日蓮

「日持上人大陸踏破事跡」中里右吉郎 謎の調査書

「あの方」が弘安5年(1282年)10月13日、辰の刻(午前8時頃)、すべての化導と相承を終、弟子・檀越が唱題するなか、御歳61歳をもって入滅された。後継者としては六人の本弟子(※1)とされる老僧(※2)日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持がいました。 前回は、、六老僧のうち、、日頂、日持の記録が少ないので、、まずは日頂上人を追って…
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じーさん徘徊  東北の夏 花巻その1 猫の事務所

ねぶた祭り(青森)が見てみたい、、宮沢賢治の里(花巻、盛岡)に行きたい、、直観的な理由で、、宿とレンタカーだけ確保して2泊3日の予定で東北新幹線に乗車した。 花巻温泉には18:00に到着し、早速に露天風呂で汗を流してビッフェスタイルの夕食でビールを楽しみ部屋に戻ると、、日頃の疲れがどっと出たのか気が付くと12時間の眠りとなって、、…
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柴又帝釈天の板曼荼羅が真跡なら、、

映画の寅さんで有名な柴又ですが、、参道の団子以外にもウナギ、川魚料理などを目的に出かける人も多い、、。 もちろん、、ここは帝釈天を本尊としたれっきとした日蓮宗のお寺です、、。 ----------題経寺サイトより-------- 経栄山題経寺(日蓮宗)と言い、寛永年間(1629)に開基され、開山上人を下総中山法華経寺第十九…
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市川考古歴史博物館 国府台-頼朝の再挙-千葉氏-冨木常忍

あれ、、運転免許証が期限が切れる!、、じーさんは今回から3年で更新であった。 あわてて、、高齢者講習を申し込み、間に合ったのは1か所、、市川市国府台の自動車学校、、13:00から15:00の2時間の受講を受けることにした。 この学校の近くには、、古くは大和王権の古墳が有り、、律令時代には国府、国分寺が置かれ、、鎌倉時代には千葉氏…
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じーさん徘徊 正月の富士山周遊 その2  法連寺(松野)

   <法連寺から富士を見る> 富士川に沿った山間の集落であるが、現在は住居が景観を阻んでいる。 法連寺は、「あの方」の後継、、六老僧の一人、、日持上人誕生の地と言われるが定かではない、、、。 Googlで空から見れば、、駿河湾、富士山、富士川の位置が良く分かる、、、。 そして、、富士川の反対側には、、岩本実相寺がある、…
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六老僧 日頂は 弘法寺(葛飾真間)から母と正林寺(重須)へーー⑤

■日頂の泣き公孫樹(いちょう)伝説 「あの方」の三回忌(1284)に日頂が遅参したとされる(中山法華経寺)ことで、義父の冨木常忍のもとに釈明に向かった日頂であったが、冨木常忍は許すことはなかった、、、。その後、、、 --------------------------------------------- …
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六老僧 日頂は 弘法寺(葛飾真間)から母と正林寺(重須)へーー④

■日頂と日向は、、師の葬列に参加していない? あの方は、、 弘安5年(1282年)10月13日、辰の刻(午前8時頃)、すべての化導と相承を終、弟子・檀越が唱題するなか、御歳61歳をもって入滅された。 この時、地震が起こり、10月に桜が咲いた、、という伝説がある。 前9月25日には、弟子達に「立正安国論」の講義をされた…
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六老僧 日頂は 弘法寺(葛飾真間)から母と正林寺(重須)へーー③

■伊与房(日頂)は、文永10年4月に佐渡に到着した、、。 文永8年(1271)11月(新暦1272.1)に、、あの方が極寒の佐渡の塚原に流配されてから半年が過ぎ、、翌年春、、4月に配所は塚原から一の谷に移ります、、。 富木殿の養子となっていた伊与房(日頂)は、富木殿の従者とともに佐渡に向かった、、 日頂の佐渡行きは…
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六老僧 日頂は 弘法寺(葛飾真間)から母と正林寺(重須)へーー②

■真間釈迦仏供養逐状(真間仏供養抄) 冨木殿(1215-1299:富木五郎左衛門尉胤継:千葉氏被官:出家して常忍) は、真間の「御所領堂」に釈迦仏を建立したことを「あの方」に報告した、、。 それに対する返事が「真間釈迦仏供養逐状」健治3年(1277.9.26)です。 -----------------------------…
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六老僧 日頂は 弘法寺(葛飾真間)から母と正林寺(重須)へーー①

弘安5年(1282)9月、、、あの方は、9カ年を過ごした甲斐の国の身延を離れ、、故郷安房の国を目指していた。 体調はおもわしくない、、冬を前に地頭の波木井実長からの勧めで茨城常陸の湯に養生するための旅であった。 あの方を馬上に、一行は鎌倉街道から、、、多摩川に向かった、、多摩川河口から舟に乗る海路が負担が少ないと考えたのでしょう…
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郷土千葉の最東端の海辺に誕生した

尊敬するその方は、当時起こっている天変地変、飢餓、疫病などの原因は「人々が誤った世界観を持っているためだ」と言い切った。 つまり、多くは人災だと言うのである。 たとえて言えば、「身体を曲げていれば、影が曲がっている」ように、「正しい世界観を持たなければ、あらゆる判断に誤りを生じてしまうのだ」と強く主張した、、、、、、、。 思え…
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