龍馬のモトカノ 「加尾」は自由民権運動家として明治40年まで生きた

■加尾
土佐勤王党の幹部となった平井収二郎(NHK龍馬伝では宮迫博之)の妹の「加尾」(同、広末涼子)であるが、、、
「平井家と坂本家は、同じ下士で、家も近い、加尾は龍馬の姉のおとめと一弦琴の稽古友達でした。加尾は龍馬より3歳下で、特別な関係だったようですね、、、(県立坂本龍馬記念館 三浦氏)」とあるように龍馬の元彼女だった、、、

自分のイメージでは、広末涼子より、高知県観光特使の島崎和歌子(同、坂本権兵衛の妻)のような、強いイメージですが、兄、収二郎からは、「、、龍馬よりいかなる事を相談いたし候とも、決して承知致すべからず」と言われている。

収二郎は、容堂の逆鱗にふれ文久3年(1863)6月切腹となる、、、やがて、土佐勤王党も壊滅、、、
収二郎が京から土佐に護送される際に、同行し、語る機会があった同志、西山志澄と結婚する、、
西山は戊辰戦争の中で板垣退助に見込まれる、、明治以降、自由民権運動の幹部、立志社の社長、衆議院議員となり、警視総監にもなっている、、、。
加尾は民権運動にも参加し、明治40年代まで生き、東京は、青山墓地の西山家墓に眠る、、、、。

京では龍馬から手紙で、男装の準備をするよう指示された、、準備をして待ったが龍馬は現れなかった、、、
加尾は「涙痕録」で、「一生涯遺憾に思ふ所なるべし」と語っている。


■舞踊家、田中 泯(みん)
NHK龍馬伝で、「吉田東洋」を演じた人です。
舞踊家、俳優、農民と書いてある。
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山梨県で「桃花村舞踊団」と「農事組合法人桃花村」を作り、現在も自給自足の生活をして活動している。
、、、あの存在感は忘れられない、、ああ、そうゆう人なんですか、、
ドラマ「ハゲタカ」、映画「たそがれ清兵衛」でやはり存在感のある役を演じている、、。

※映画「たそがれ清兵衛」では、清兵衛役の真田広之が藩命によって到す相手役が田中泯さん、、同じ下級武士の悲哀を演じながら、、シリアスな迫力ある場面を見せてくれる。、、、、

時は幕末、、山形の田舎の藩(海坂藩=架空)では、中央の幕末の激震とは無関係かのように、地味な日常風景を見せている。
たそがれ清兵衛は、妻を亡くし、幼い子供と老母を抱える50石ぶちの下級武士、、、兵糧蔵管理の下級役人の仕事を終えると、、、、仲間との付き合いもせず、、家に帰る、、たそがれ時になると真っ直ぐ帰るので「たそがれ清兵衛」と呼ばれる、、、、下級武士の家では、、内職の虫籠つくり、、、、NHK龍馬伝での困窮する岩崎弥太郎家の生活と重なる、、、幕末の激動とは無縁のお家騒動、、、清兵衛は、藩命を断りきれず、、、、家に立て篭もる一刀流の使い手・余吾善右衛門(泯さん)を討す役目を受ける、、、という設定、、、山田洋次監督

田中泯さんの父親は、舞踏家の磨赤兒(まろあかじ)
wikipediaで見ると、もっとすごい人です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E6%B3%AF

田中泯 公式ホームページ だと更にすごい人です
http://www.min-tanaka.com/wp/




■陸奥宗光
「わが隊で、両刀を脱しても食っていけるものは、おぬしとわしだけだ」と龍馬に言わせた陸奥陽太郎だが、、、、
女豪商の大浦慶から300両の金を借りることができた、、、
さらには、1万2千両で、帆船を買ってくれるという、、、担保のない亀山社中に、なぜ大金を投じてくれるのか、、
不思議がる龍馬に「担保は私です」と打ち明ける、、龍馬は驚きながら陸奥の顔を覗く、、赤くなる陸奥、、龍馬は顔をくしゃくしゃにして笑い出した。
司馬さんの描く、お慶は希代の男好き、、洒落っ気も強い、、、。


■近藤長次郎
上野彦馬のとった長次郎の小柄な写真はよく見かける、、不釣合いな長い刀ばかり目に付き、、龍馬に真似て櫛を入れない髪形、、、しかし手元はよく見ていなかった、、言われて見ると、、右手に短銃を持っている、、、
イギリス密航を計画するも失敗、、亀山社中の仲間に追及され、、切腹する
密航直前の写真らしい、、刀は、まんじゅうや長次郎が帯刀を許されるまでに世話をしてくれた、刀鍛冶士「左行秀(さのゆきひで)」から譲られたもの、、、なぜか寂しげな長次郎、、、亀山社中で成果をあげても、孤立していた、、密航直前に嵐で出港が延期されてしまった、、、残念ながら写真からは、運命を切り開く勢いが感じられない、、、写真に魂を吸い取られたのかも、、(当時そんな迷信で正面を向かない)、、、、。
、、、この刀だけは撮っておきたい、、、饅頭や長次郎の切ないまでの思いが伝わってくる、、、、


■半平太と龍馬
高知では二人は子育ての見本になっていた、、
出来のいい子は更なる進歩を願い、、「半平太を見習え」といい、、
あまり、望みがない子は「龍馬をみろ」と励ます
「よいか、あの本町筋一丁目のはなたれでさえ、千葉道場の塾頭になれたんじゃ、自分を見捨てずに努めるんじゃぞ、、」



■坂本 登
龍馬の兄の権平から数えて5代目、、、東京に在住 防災設備の会社を経営
最近は、よく龍馬関連のイベントで、パネルディスカッションに参加するという、、、
父親の直行は、山岳画家で、帯広の「六花亭」の包装紙が作品のひとつだそうで、ぐっと身近になる、、
直行は、龍馬の取材も受けず、語らなかったと言います、、


■竜馬くん
会社設立5周年記念に配った、竜馬くん、、、
まだ、棚の上に存命です、、先日、高知に旅したときに、リメーク版が未だ販売されていました。
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■竜馬がゆく 初版
司馬遼太郎さんの、「竜馬がゆく」の初版を買って、胸躍らせて読んだのは、昼間はアルバイト夜は大学に通う勤労学生フリーターをはじめた頃であった、、、

そのころ、70年安保を前にして、、新左翼の活動も活発、休校が続いていた、、、が、あの頃の学校はどこも、ほぼ、同じだった、、、、3年生でようやく安定した企業に勤務して、卒業をすることができたが、長い休校とレポート提出に助けられて卒業できたようなもの、、会社があったお茶の水、水道橋あたりは、学生街で神田カルチェラタンと呼ばれるほど激しいデモと投石が飛び交う街でした、、近くに東大や日大など全共闘や過激派セクトの拠点も多い、、、

こちらは、理工系ノンポリだったので、幕末で言えば、単なる職人、、見物人です、、
、とは言え、、自らの立ち位置を説明しろ、、と自問する日々でもあった、、、「竜馬がゆく」は、おちこぼれにとって、救いの書でもあった、、、

席次で並んだ友人のK君のアパートに泊り込んで、ノートを写させてもらったりした際に、「竜馬がゆく」の感激を友人熱っぽく語るが、、、彼は全く反応しない、、
仕方なく、、本を貸すから是非読んでみてくれ、、とアパートに置いてきた、、、

一週間後に感想を聞くと、、、まだ読んでないと言う、、、秋田県出身の彼には、なにか地元で、戊辰戦争での遺恨の言い伝えでもあるのだろうか、、、、官軍は敵、、、まさかと思うが、田舎では薩長への遺恨が、今更ながら言い伝えとして残っているようなのだ、、、

結局、、本は貸したまま、、未だに戻ってない、、、今、彼は専門学校の校長を定年になるころだ、、、

なので、自分の蔵書として「竜馬がゆく」は無い、、、、、、最近、、週間「司馬遼太郎-7」が週間朝日MOOKから出されて、、作品のエキスや余談を紹介してくれるのでありがたい、、コラムもいい。
※週間「司馬、、、」といっても2006年から今年で7号なので年刊といっていいが、、、、



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